自由

 誰かが言った。「自由なんてどこにあるのか…」
 自由なんて、望むべきものじゃない。自由を求める人間とは当然何かに縛られていると感じている人。縛られているからこそ解き放たれたいと思う。
 生まれたとき、人は母の体という狭い空間から放たれ、臍の緒を切られ、そして医者の手へと渡り、保育器へ移される。まぁそんな細かい事は良いんだけどw、自由を求めてどれだけあがいても、束縛から逃れたその先にあるものは更なる束縛だと俺は思う。一人立ちするまで、学校であったり親であったりに監視される。その監視から逃れた先にあるのは社会という空間。そこで人は生きるために歯車になる道を選ばざるを得ない。それを拒んだ人間が行き着く先はどこなのか?極端に言えば公園のテントであったりするわけです。縛られる代わりに得られるものは保護という行為。守られているうちはある程度窮屈になることもある。もがく事も大事だけど、自由とは夢見るためにあるもので手にするべきものでは無い。これは俺の考えなので他の人は当然違った考えをお持ちだろう。俺の考えはどちらかというと消極的で保守的なイメージを受ける。俺ですらそう思う。でもそれでいいと自分ではおもう。
 自由を手にするにはきっと捨てなければいけないものも多々あると思う。その多くは生きるために必要不可欠なもの。それらを捨ててまで得たいと思うならそれはその人の生き方。他人がとやかく言うことじゃない。縛られていれば味わうことの無かったような苦しみを経験するかもしれない。
 自由なんて陽炎みたいなもので、進めど進めどその距離は縮まらず。決して手に出来ないもの。かといってそれを見失ってしまえば、脚を進める理由がなくなってしまうかもしれない。自由の形なんて人それぞれだろうけど、それは目標の向こうに見えるものであって目の前にあってはいけないものだって思います。  
 何より人は理性を持ったときから自分という感情に縛られているから。
 余談だけど俺は自由を恐れるほうだ。「自由にしていい」と言われると「何やっても良いんだ!」って思うより「何やったら良いんだ?」ってなっちゃう。誰かに使われることでしか力を発揮できない、決して上に立つことの出来ない人間なんだと自分では思う。白紙の紙を渡されると不安になる。