惜しまれながら死んでいく英雄への憧れ

 昨日ずっとろくでなしブルースを読んでいた。相変わらず極東川島編の関西弁はむちゃくちゃだけどそんなのはどうでも良い。ヒロトが前田に挑む話はなかなか感動的で、胸を打つものがある。
 ヒロトは俺にないものを持っている。それがタイトルにある「憧れ」だ。たとえどれだけ惜しまれようとも、死んでいく人間に俺は憧れることなんてできない。
 もし、知り合いが亡くなったとして、そして自分の好きな女がそいつのために涙を流したとして、それが羨ましいとは思わない。
 まぁたとえは違うけど、要するに俺は生きていたい。生きて必要とされたい。体の良い手駒として使われて捨てられてもかまわない。誰かの力になるために生きていたい。陰でバカにされても、安く思われても。卑怯に、粘り強く、諦めず、生き恥を晒すことになっても良い。人間が生きているということ自体、地球にとっては損害なのだ。そう思えば自分一人が恥を忍んで生きることくらいなんてこと無い風に思えてくる。
 長く生きて、恥をかいて、たくさん辛い思いをして。そうすれば、死ぬときだけは綺麗な姿で死ねるんじゃないか、綺麗な形で、惜しまれながら。
 短い人生に自分で終止符を打つなら、きっと惨めな死になるだろう。満足に恥じもかけないまま、ただ辛いことから逃げるために先を閉ざしてしまう。それが楽だと考える人間。辛いことだって、吸収して、自分の中で消化して、浄化すれば、先の楽しさを生み出せるはず。
僕たちはまだ、惜しまれるほど汚れていない